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快と不快の狭間で

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デヴィッド・シルヴィアン / エブリシング・アンド・ナッシング
David Sylvian / Everything and Nothing

<青年スコット・ウォーカーの世界には中間領域が見当たらない。
はにかみを隠せない未熟さと
鉄面皮な老成が直接繋がっている。
よく聴けば彼の歌にはどれもこの両端が埋め込まれていて
その両端が瞬時に入れ替わる彼の世界で翻弄されることほど
スリリングで悦ばしい音楽体験は今他に身当たらない>

快の領域にすっかり腰を落ち着けてしまった音楽は力を失う。
80年代以降スコットと並走するように
音楽の快と不快の境界ラインで
思い切って不快の領域に向かって快の領域を押し拡げて来た
言い換えれば快の堰を切り不快を招き入れる通路を開いて来たシルヴィアンには
鉄面皮な老成はあってもはにかみを隠せない未熟さは
70年代後期のジャパン時代まで遡っても見出すのは難しい。
化粧バンドでデビューした当時から
すでにあらかた出来上がっていた人なのだ、
あの坂本龍一をして可愛気がないと云わせるほどに。
そこで未熟さに代わって老成と対を成すのが
持って生まれた”色気””艶”というもので
時代時代の不快に大きく踏み込み
リスナーの硬直化しやすい感受性を揺さぶってきた
彼の旋律、和声、ビート、音作りの冒険は
この”艶”があってぎりぎりのところで
「快」として成立していた。
が、大きな話題になった美貌のジャパン時代から
その”艶”には不思議なくらいセクシャルな匂いがない。
それは性的なものを飛び越えて
絶えず死に触れていることで活性化する濃厚な”生”を源にしており
それが彼のフィールドである快と不快のマージナルな世界と
いつも呼応し相似形をなして
作品にエネルギーと説得力を供給してきたのだった。

アルバム未収録曲、リミックスなどを多く含むコンピレーションだが
寄せ集めといった感じがまったくないのは
周到な編集によるところも大きいのだろうけれど
驚くほど多様な音楽スタイルを持ちながらも
誰が選んでもこれに近い感触のパッケージになりそうなほど
一貫したものが彼の作品群に漏れなく隅々まで行き渡っているからに違いない。

2000年リリース。
ジャパン時代の佳曲を含む絶品の二枚組です。
"The Scent of magnolia "
by miracle-mule | 2010-07-01 01:39 | 新着CD
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