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余はいかにして洗車夫となりしか

台風一過の月曜日、気持ち良く晴れ上がって絶好の洗車日和。
海風が運んだ塩をじゃんじゃん洗い流す。
この三週間でなんと四度めの洗車である。
ことのほか丁寧に洗い上げた土曜日の翌日は台風だった。
その一週前の土曜は翌日曜日が雨。
そのまた一週前の土曜は洗車中に降り出した。
思えば最近の四度を除けばこの一年に車を洗ったのは三度だけ。
この圧倒的な転向堕落変節にお天気も狼狽したのやも。
とはいえこちらだって好きで洗っているわけじゃないのだ。

九月に車を買い替えた。
十年以上世話になった前の車の調子が落ちてきたのを機に
輸入車販売の 八廣堂 さんに車探しを依頼。
お題は安くて荷物がいっぱい積める
古いワーゲンのステーションワゴン。
モスグリーンか黒かシルバーでお願いします。
が、ひと月ふた月待っても朗報が届かない。
彼らの基準に届く質のタマがまったく出て来ないのだ。
業を煮やして電話すると
「ワーゲンは見つからないんですけど
信じられないくらいいい状態の古いベンツが見つかりました。
一度見てもらえません?」
いいでしょう。見るだけならいくらでも見るよ。
ベンツなんて一度も欲しかったことないけどさ。
と、かれらのホームの静岡へ。
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それは古いけれどおそろしくきれいな車だった。
新しいものがうつくしいのはあたりまえ。
長い間大切に扱われ敬意を払われてきたものが
経年の劣化さえ魅力に変えてそこにあった。
古いものの魅力とは煎じつめれば
そのものにどんな物語が宿っている(と思える)のかに尽きる気がする。
本当のところは元の持ち主を除けば誰にもわからない物語なのだが
ものの状態、風体からその物語を察し想像することは誰にでもできる。
古いものに触れることはものが秘めた物語を
それがたとえこちらの誤解であっても想像的に解きほぐし宙に放つことだ。
というような「物語」に一瞬のうちに飲み込まれ
後先考えずその場で購入を決めるはめに落ちいって
以来「きれいな車だということだけは伝えておきます」という
八廣堂さんの言葉に押しつぶされそうになりながら
自分の所有物というより預かりものというスタンスで
洗車、洗車と廃人のようにつぶやく日々を送っている。

洗車夫に成り果てたとはいえ
地方での生活と切り離すことのできない車というものを
大きな古道具、小さな中古住宅のようにとらえられるようになったのは
大きな収穫でありました。
by miracle-mule | 2012-10-02 02:27 | day after day
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